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曽於市(そおし)の歴史(れきし)

そおしには、そおしのれきしにかかわる、きちょうなじんじゃやいせきがいっぱいのこっているんだよ!1000ねんいじょうもむかしにつくられたものがあるというからおどろきだよね!

住吉神社[すみよしじんじゃ](末吉[すえよし])

流鏑馬[やぶさめ]が行[おこな]われる住吉神社[すみよしじんじゃ]は、参道[さんどう]から長[なが]い階段[かいだん]を上[あ]がると神社[じんじゃ]や杉[すぎ]の大木[たいぼく]があります。
住吉神社[すみよしじんじゃ]は、郷社[ごうしゃ]でしたが、昭和[しょうわ]7年[ねん]に県社[けんしゃ]へ昇格[しょうかく]。祭神[さいじん]は、底筒男命[そこつつのおのみこと][]、中筒男命[なかつつのおのみこと][]、表筒男命[うわつつのおのみこと]。

岩屋観音[いわやかんのん](大隅[おおすみ])

岩屋[いわや]観音[かんのん]は、岩壁[いわかべ]に江戸[えど]時代[じだい]元禄[げんろく]期[き]の行仙[ぎょうせん]による刻[こく]字[じ]等[とう]があり、文明[ぶんめい]18年[ねん](1486年[ねん])に開山[かいざん]したといわれています。
岩屋[いわや]観音[かんのん]に並[なら]ぶように吉田大明一圓[よしだだいみょういちえん](明治[めいじ]時代[じだい]中頃[なかごろ])の刻[きざ]んだ長谷[はせ]寺[でら]式[しき]十一面[じゅういちめん]観音[かんのん]石仏[せきぶつ]の本尊[ほんぞん]や善[ぜん]光[こう] 寺[じ]式[しき]三尊[さんぞん]などが自然石[しぜんせき]に美[うつく]しく彫刻[ちょうこく]されています。

恒吉太鼓橋[つねよしたいこばし](大隅[おおすみ])

岩[いわ]川[がわ]・市[いち]成[なり]街[かい]道[どう]の長江[ながえ]川[がわ]に寛政[かんせい]2年[ねん](1790年[ねん])3月[がつ]にかけられた石橋[いしばし]です。
県内[けんない]最古[さいこ]級[きゅう]のアーチ式[しき]石橋[いしばし]で、長[なが]さ15.5メートル 幅[はば]2.8メートルです。

岩[いわ]川[がわ]八幡[はちまん]神社[じんじゃ](大隅[おおすみ])

八幡[はちまん]神社[じんじゃ]は万寿[まんじゅ]2年[ねん](1025年[ねん])京都[きょうと]の石清水[いわしみず]八幡宮[はちまんぐう]より勧請[かんじょう]。大正[たいしょう]3年[ねん]現在[げんざい]地[ち]に移転[いてん]。
昭和[しょうわ]13年[ねん]には社殿[しゃでん]を新築[しんちく]し、祭神[さいじん]は、応神天皇[おうじんてんのう]をはじめ武内宿弥[たけのうちのすくね]、神功皇后[じんぐうこうごう]、玉依姫命[たまよりひめのみこと][]、仲哀天皇[ちゅうあいてんのう]、天照大神[あまてらすのおおみかみ]、伊邪那岐命[いざなぎのみこと]、保食神[うけもちのかみ]。

投[なげ]谷[たに]八幡宮[はちまんぐう](大隅[おおすみ])

投[なげ]谷[たに]八幡宮[はちまんぐう]は、大谷[おおたに]の宮ヶ[みやが]原[はら]に鎮座[ちんざ]し、大隅正八幡[おおすみしょうはちまん](鹿児島[かごしま]神宮[じんぐう])の別宮[べつぐう]で、祭神[さいじん]は、神功皇后[じんぐうこうごう]、応神天皇[おうじんてんのう]、仁徳[にんとく]天皇[てんのう]。和銅[わどう]元年[がんねん](708年[ねん])創建[そうけん]と言[い]い伝[つた]えられ、敷地[しきち]内[ない]には大[おお]きなイチョウの木[き]がそびえています。
島津氏[しまづし]の時代[じだい]も手厚[てあつ]く遇[ぐう]されており、平成[へいせい]15年[ねん]鹿児島[かごしま]県[けん]有形[ゆうけい]文化財[ぶんかざい]に指定[してい]されました。

日光[にっこう]神社[じんじゃ](財部[たからべ])

奈良[なら]時代[じだい]の和銅[わどう]3年[ねん](710年[ねん])に鴨頼長[かものよりなが]によって創建[そうけん]されたと言[い]い伝[つた]えられています。財部[たからべ]という地名[ちめい]に密接[みっせつ]なかかわりのある神社[じんじゃ]でもあります。

熊野[くまの]神社[じんじゃ](末吉[すえよし])

鬼[おに]追[お]いの行[おこな]われる熊野[くまの]神社[じんじゃ]には、境内[けいだい]に五輪塔[ごりんとう]があります。鬼[おに]が暴[あば]れまわる参道[さんどう]には、もと光明寺[こうみょうじ]の仁王[におう]像[ぞう]が2体[たい]鎮座[ちんざ]し、この仁王[におう]像[ぞう]は本尊[ほんぞん]を守[まも]る役割[やくわり]があります。

溝[みぞの]ノ口[くち]洞穴[どうけつ](財部[たからべ])

霧島[きりしま]山系[さんけい]の湧[わ]き水[みず]が浸食[しんしょく]し、数[すう]千年[せんねん]の長[なが]い年月[ねんげつ]をかけてつくられたとされる洞穴[どうけつ]は、横[よこ]13.8m.高[たか]さ8.6メートル、全長[ぜんちょう]は昭和[しょうわ]41年[ねん]に関西[かんさい]大学[だいがく]探検[たんけん]隊[たい]の調査[ちょうさ]で224メートルまで確認[かくにん]されています。
洞穴[どうけつ]からは、今[いま]でもこんこんと地下水[ちかすい]が流[なが]れ出[だ]し、地元[じもと]の人[ひと]の話[はなし]では、洞穴[どうけつ]に犬[いぬ]をいれたら高千穂[たかちほ]の峰[みね]に出[で]てきたという伝説[でんせつ]も残[のこ]っています。昭和[しょうわ]30年[ねん]鹿児島県[かごしまけん]天然[てんねん]記念[きねん]物[ぶつ]に指定[してい]されました。

澤田[さわだ]神社[じんじゃ](財部[たからべ])

戦国[せんごく]時代[じだい]に建[た]てられた澤田[さわだ]神社[じんじゃ]には、7つの能面[のうめん]があり、その内[うち]の1つは、島津[しまづ]忠[ただ]国[くに]が奉納[ほうのう]した約[やく]550年前[ねんまえ]の能面[のうめん]で、澤田[さわだ]神社[じんじゃ]よりもさらに古[ふる]い歴史[れきし]を持[も]っています。

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