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有馬厚軒の墓

有馬厚軒の­墓
  • 指定区分:市指定文化財
  • 種別:史跡
  • 指定日:S43.1
  • 所在地:曽於市末吉町深川

有馬厚軒は、幕末から明治初期に末吉郷士の教育に取り組んだ教育者です。
文久4(1821)年10月5日、有馬道憲の二男として荷原で生まれました。父は医者であり、その父から医学や漢学を学びました。その後、鹿児島の造士館や、京都へ遊学し、諸学問を修めました。
厚軒は、医師を務める傍ら、鹿児島造士館の句読師(読み書きを教える人)をしていましたが、藩命により郷中子弟の教育を任されました。元治元(1864)年、末吉に郷校『知新館』を創設、郷士の教育に深く携わり、末吉の教育の礎を築きました。
また、万延元(1860)年の桜田門外の変で、大老井伊直弼を刺殺した有村次左衛門兼清と親交があったといいます。井伊直弼を国賊として殺そうとともに密約し、密かに末吉の家を脱出し、鹿児島で次左衛門と一緒に上京する予定でしたが、深川の小倉で見つけられ、連れ戻されたという逸話が残っています。
また、有馬新七正義とも親交があったといいます。新七は精忠組の中でも急進派で、倒幕を実行しようとしていた志士です。他方、学者でもあり、造士館で句読師をしていました。過激な人物でしたが、厚軒も新七に共鳴し行動をともにしようとしたようです。しかし、文久2(1862)年の寺田屋事件の際は、病身のため参加出来なかったといいます。
明治21年9月23日死去、68歳でした。

お問い合わせ先

曽於市教育委員会 社会教育課
〒899-8102 鹿児島県曽於市大隅町岩川5629番地
メールアドレス
TEL:099-482-5958 FAX:099-482-1148

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