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平田三五郎と宮内式部の墓

平田三五郎の墓
  • 指定区分:市指定文化財
  • 種別:史跡
  • 指定日:H27.4.15
  • 所在地:曽於市財部町北俣

平田三五郎

平田三五郎(財部郷土館展示)

平田三五郎と宮内式部の墓は、古井原にあります。
島津家臣の平田三五郎宗次は、相当の美少年であったといい、吉田大蔵清家と義兄弟の契りを結び、慶長4年(1599)の庄内の乱(庄内合戦)で、先に討死した大蔵に殉じました。享年15歳といいます。三五郎のこの行動に島津家の人々は感動し、その忠義の精神は、後に武士間の衆道を描いた「賤のおだまき」のモデルとなり、二才衆の間で愛読されたといいます。
平田三五郎の物語は、鹿児島では江戸時代から明治時代まで広く読まれており、明治以降は、森鷗外らの作品により、全国的に知られるようになりました。ここで語られる武士道の精神は、薩摩藩における郷中教育の成立を考えるうえでも重要な事柄であり、その人物の墓が現存していることは貴重です。

平田三五郎の墓は、向かって右側に「明治三十八年二月十八日改正 平田□□(文字不明)郎 平田宗市 平田次右エ門 見事舞人 黒木伝次郎」、左側に「宮内市之助 宮内七助」と刻されています。正面はほとんど削られて読めません。これは戦時中、墓石の正面を削り、石片を御守りにして出兵したといい、民俗資料としても興味深いものがあります。墓石本体の高さ98センチ、幅33センチ。
その後ろには、上部が欠損した「五郎」と読める石がありますが、これは明治38年(1905)以前の三五郎の墓と思われます。
すぐ隣にある宮内式部の墓は、「釈梵居士 慶長癸巳六月廿七日 十五歳 宮内式部佐衛門戦死」と刻されています。高さ98センチ、幅35センチ。なお、式部は三五郎のおじにあたります。
現在の墓石は明治時代のものですが、形態は変えつつも、江戸時代から現在まで、平田三五郎の墓とその物語がこの地に伝承されており、歴史的・民俗的に価値のある史跡です。

お問い合わせ先

曽於市教育委員会 社会教育課
〒899-8102 鹿児島県曽於市大隅町岩川5629番地
メールアドレス
TEL:099-482-5958 FAX:099-482-1148

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